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ドイツ・ロマン主義の全貌―近代芸術は中二病から始まった

Friedrich Overbeck 008

今回は、ドイツ・ロマン主義という文学スタイルについて、社会システム理論の見地から扱ったゲルハルト・プルンペの研究を調べてみました[1]。しかし、このロマン主義というスタイルは、今日の近代芸術の開始点であるとされていながらも、調べれば調べるほどかなり理解するのが難しいことがわかってきました。

そこで今回は、ロマン主義を「中二病」の文学スタイルとして考察していきたいと思います。

ゲーテやシラーが古典と勘違いされる理由―古典文学の思想史

Oer-Weimarer Musenhof

文学史では、しばしばゲーテやシラーは古典(クラシック)として扱われています。しかし彼らは、どうしたら古典に縛られないですむかに四苦八苦していた作家でした。脱古典主義者が、古典と見なされるというのは何とも可哀想です。なぜこんなことが起きたのでしょうか。今回はこの問題について、社会学者ゲルハルト・プルンペの論文[1]から考えてみたいと思います。

芸術には思想が必要か―古代から近代に至る芸術の思想史

Schlaraffenland

芸術作品はおもしろければそれでよいという考え方と、何かそれ以上の思想的意味が必要だという考えがあります。つまり芸術作品には哲学(真)や道徳(善)が必要だというわけです。

なぜたんに面白いだけではダメなのでしょうか。今回はこの問題を考えるために、芸術に対する思想史を社会学者ニールス・ウェルバーの論文[1]から見てみたいと思います。

何のために文芸評論は存在するのか―文芸評論の社会的機能(1/2)

Cafe-Griensteidl-1896

文芸評論や文芸批評というものについて、いつも謎に思うことがあります。なぜ何のために、そういうものが存在しているのかということです。というのも、小説であれアニメであれ絵画であれ、評論など全く読まなくても楽しむことができるからです。私はそんなにたくさん文芸評論というものを読まないのですが、もちろん、ここで言いたいのは、評論や批評が世の中に全く必要ないということではありません。むしろ、その必要性をもう一度考えてみたいと思います。

音楽に政治を持ち込んでもよい条件―芸術の自律性のパラドックス


フジロックにSEALsの奥田愛基氏さんが出演することに対して、ツイッターで「音楽に政治を持ち込むな」という非難が起きていることが話題となっています。

ここでは音楽(芸術)と政治の関係について次の2点から考えてみたいと思います。

(a) 絶対に芸術に政治を持ち込んではならないという考えは、本当に非政治的なのか。
(b) 時には芸術に政治を持ち込んでもよいという考えは、本当に政治的なのか。


Joan Baez Bob Dylan